明るい鏡~本当のわたし、そしてあなたを映し出す

札幌のトラウマセラピスト、藤原ちえこのブログです。癒しにまつわる話、日々の出来事、宇宙のしくみ、特別養子縁組で迎えた我が子のこと等々、雑多に気まぐれに書き綴っています。(当ブログはリンクフリーです。皆様のお役に立てればとてもうれしいです) プレマカウンセリングルーム ©2007-2017 Chieko Fujiwara 

あの時うつになって良かったと、21年後に改めて思う私。

先週、留萌市というところに講演に招かれて行ってきました。

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テーマは、「うつにならない暮らしかた」でした。

うつ病予防というテーマで留萌市から講演依頼をいただいて、何を話そうか考え始めた時に、ふと思い出したことがあります。
そして、その事実をすっかり忘れていたことに、我ながら驚愕いたしました^^;。

私、自分も昔うつで病院に担ぎ込まれたことがあります。
21年も前のことです。


いわゆる「転勤うつ」というやつでした。

新聞記者になって4年目に、初めての転勤を体験しました。
かなり大所帯だった札幌の報道部から、記者が7人しかいない山形支局へ。
しかも地方支局は若い記者がほとんどなので、いきなり上から3番目の「ベテラン」になってしまいました。

私はバブル入社だったので同期が多く、普通新人が配属されることのない大都市の編集部にいきなり配属になり、
何十人もいる記者の一番下っ端として最初の3年を過ごしたので、小さな支局の記者が日常的に行う幅広い仕事を経験したことがありませんでした。
地方の記者は自分で運転し、写真も撮り、事件取材から行政、街ダネまで全部やらなければいけません。
そのぶん所帯も小さいので、支局長やデスクがほぼマンツーマンでみっちり鍛えてくれる。
片や札幌は、カメラマンは常駐、取材はタクシーか社有車、担当分野は細分化されており、
新人も数多い記者の一人に過ぎず、デスクも5人もいたし、報道部長と日常的に口をきくこともない。

ということで、自分はある意味温室育ちだという負い目がありました。
(今振り返れば、大所帯ならではの大変さももちろんあったので、そんなに引け目を感じることもなかったのですが。ほら、当時は劣等感の塊でしたからね^^;)
なのにいきなり先輩としてマルチタスクをこなさなければならない。
おまけに当時は新婚3ヶ月。大好きで頼りきっていた夫と離れ、また一人暮らしに逆戻りです。
そういう状況で、勝手に自分に大きなプレッシャーをかけ、不安でいっぱいになっていました。


その結果

引越しを手伝ってくれた夫が札幌に戻るのを号泣して見送ったその日から、私はまるまる一週間一睡もできず、食事ものどを通りませんでした。
そんな状態で日々挨拶回りをこなし、何とか仕事をしているふりをしていましたが、
一週間目、ほとんど寝ていない朦朧とした頭で、支局の大きなパジェロを無理やり運転していた時に、
自分でも、「これは本当にやばい」と思いました。

そのまま支局に戻り、支局長に、
「私仕事辞めます」と言ってしまいました(⌒-⌒; )。


ありがたかったのは、支局長の対応です。

私が普通の精神状態じゃないことがすぐ分かったのでしょう。
「とにかく、今日は家に帰りなさい」と諭され、
翌日、近くの病院に連れて行かれました。
そこで「抑うつ状態」と診断を受け、
夫が山形まで私を回収しにきて、札幌で3週間療養しました。

周囲の人の理解と、夫の献身的なサポートがあったため、3週間で職場復帰できたのは本当に幸運だったと思います。
当時の私の状態を考えれば、初期対応のまずさで回復に手間取り、本物のうつ病に移行していたというシナリオだって十分あり得たんですから。

(そして、うつから回復後の山形での生活は本当に楽しいものでした。
自然豊かな地方都市で、取材先にも上司にも恵まれ、本当に伸び伸びと仕事をし、記者生活を満喫しました。
山形での2年間は、間違いなく私の6年間の記者生活のハイライトです。
支局長が私の言葉を鵜呑みにして、そのまま辞めさせられなくて本当に良かったですo(^_^)o)


講演の準備をしながら、あの、うつ状態に陥った時の本当に本当に苦しかった感覚を、久しぶりに思い出しました。


真っ暗な気持ち。外の世界まで薄ぼんやりと黒い雲がかかったように暗く見える。
眠れず、食欲がなく、口の中がカラカラに渇く。
将来に対してあらゆる希望が全く持てなくなる。
どこかに消えてしまいたくなる。
どうしようもない焦燥感。
考えがまとまらず、何一つ自分では決められない。


そうでした。
あの経験から回復したとき、私は、
「二度とあんな思いをするのはごめんだ」と固く固く決心し、
うつにならないような生き方の模索を始め、
結果的にそれが記者の仕事を辞めて留学することにつながり、現在の私に至るのでした。

紆余曲折はありましたが、
おかげさまで、あれ以降、診断名がつくようなうつ状態になることは一度もなく、
おまけに、そんな体験をしたことすらすっかり忘れてしまっていたほど、今は元気です。

でも今の私があるのは、間違いなく、当時の体験があったからです。

人を動機づけるものはいくつもあります。
「あんな風になりたいなあ」という、ポジティブな動機づけもあれば、
「あれだけは絶対にもう嫌だ」という、ネガティブな動機づけもあります。

そして、ネガティブな動機づけの方が、その人を駆り立てる力としては、ずっと強いんだと思います。
その苦しさを知っているだけに。
だからこそ、貧しい家に生まれた人が歯を食いしばって努力して大成功したり、
途上国のアスリートが死に物狂いで頑張って金メダルを取ったりするのでしょう。
ハングリー精神が違いますからねo(^_^)o。


そう考えると、本当に、当時うつになって良かったと思います。
あのエピソードは、間違いなく私にとってのeye opener(目覚めのきっかけ)でした。
うつのおかげで私は自分の内面の探求を始め、
結果的にそれを仕事にして、今に至ります。


もしあなたが、今、本当に辛い体験をしているとしても、
後から振り返ると、その体験が実は、人生で最大のギフトだったことに気づくかもしれません。
もちろん今この瞬間は、とてもそうは思えないでしょう(私もそうでした)。
でも、ピンチはチャンスなのです。
本当に。

あなたにも必ず、今の体験を乗り越えることができます。
そして、乗り越えた後のあなたの人生は、今の何百倍も輝いているはずです。


それをどうぞ、心の片隅で覚えておいてくださいね。

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【追記】
計算をちょっと間違えていたので、タイトルと本文の数字を変更しました^^;。ごめんなさい。



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by premamft | 2017-11-07 16:45 | 心のケア
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